クラクフに移動して、引き続きポーランドの「負の遺産」観光へ。 その名は誰しも一度は耳にしたことがある「アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所」。 ポーランドで一番訪れたかった場所で、クラクフ到着翌日に早速訪れました。 今回はクラクフからツアーで出かけたアウシュヴィッツ見学のまとめです。(場所が場所だけに重い内容となっています)
(2019.07.18現在)

2019年当時の情報になります。 料金・リンク先等は大幅に変更になっている為、参考情報としてご理解ください。

 

アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所へ

 

行き方

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館はクラクフから約70km。 クラクフ駅東口のバスターミナルからバスが出ているので、公共交通機関を利用して個人で行くことが可能ですが、以下の理由からツアーを利用しました。

  • 10時前の入場ならガイドなしの入場も可だが、最低限、英語のガイドツアーに参加したい
  • ガイドツアーはかなり先まで予約で埋まっており、希望日の予約ができなかった
  • 当日枠(キャンセルなど)を狙うのも手だが、現実的ではない
  • バックパッカーですが、ここを目的地の一つとして訪れたので

ということで手っ取り早くクラクフからのツアーで訪れることにしました。

寅吉
寅吉
申込み先はネット予約が簡単だった GetYourGuide にて ツアー代は1人50USDでした

クラクフからアウシュヴィッツ往復+英語ツアーガイド付き。 所要時間は約7時間(出発は朝と昼過ぎの1日2回)、 いろいろなコース設定あったり、他社からも沢山の安いツアーがあるのでツアー選びは各自の判断にて。

ちなみに個人で行く場合は・・・

  • バスターミナルからバスでアウシュヴィッツへ 行き先はOświęcim 時刻表はこちら
  • 午前10時前の入場なら無料で入場可 ※ガイドを付けることで金額が発生するシステム
  • ガイドツアーは8:30から15分おきに複数言語であり ※日本人ガイド中谷さんの予約は激しく難しい
  • 10時以降~夕方(季節により異なる)はガイドツアーでの入場のみ ツアーは早めに予約 
  • 一度入場したら何時間いても良い(10時前にガイドなしで入場しても)
  • アウシュヴィッツ~ビルケナウ間は無料のシャトルバスがあります
  • 料金はクラクフからのバス代片道15PLN前後 ガイドツアーは85PLN ※事前確認のこと

 

ツアー利用例

寅吉
寅吉
今回利用したGetYourGuide 50USDのツアースケジュールはこんな感じ
  • 07:00 クラクフ発(ホテルマルタンスキ近くから出発)
  • 08:30 アウシュヴィッツ博物館に到着
  • 09:00 ガイドツアー開始(英語ガイドにて約2時間)
  • 11:30 ビルケナウに移動してツアー開始(英語ガイドにて約1時間)
  • 13:00 ビルケナウ付近で休憩したのちに出発
  • 14:20 クラクフの集合場所に戻る

含まれるものは往復バス代、現地のガイド代で、お昼は含まれていません。(パンを買ってバス内で食べました)

GetYourGuide内でも岩塩坑群と合わせて訪れるツアーや送迎のみのツアーなど様々なツアーがあります。

 

アウシュヴィッツ第一収容所

ツアーバス

今回利用したツアーバス 満車でした 公式サイトでガイド予約が取れない人はツアーを利用するのでやはり人気のようです。 道中は添乗員のような人がバスガイド的な説明をする程度。

 

インフォメーション

ホロコースト博物館入口

08:30 現地に到着 まだ8時半過ぎというのに既に沢山の観光客。 ツアー開始まではトイレに行ったりインフォメーションで日本語のガイド本 24PLN(約700円)を購入。 トイレは有料で1回2PLN

注意事項としては身分確認のためのパスポートが必要、収容所の中には小さなハンドバッグ(30cm×20cm)しか持ち込めません ※大きな荷物は有料のクロークに預ける。

 

当日のガイドツアーを求めて

インフォメーションは長蛇の列。 予約なし難民の列? 公式サイトの予約状況はかなり先までいっぱいでしたが、当日キャンセル狙いの観光客かもしれません。

 

駐車場

駐車場には各地からのツアーバスがたくさん。 混雑しているとは聞いていましたが、想像以上の観光客でオーバーツーリズムを実感。 繁忙期は入場制限が一層厳しくなっていくかもしれません。

 

アウシュヴィッツゲート

09:00 ガイドと合流して1940年に設立されたアウシュヴィッツ第一強制収容所からツアー開始。

ガイドのマイク音声を拾うヘッドホンを装着して説明を聞きながら進みます。

収容所入口はARBEIT MACHT FREI「働けば自由になる」のスローガンが掲げられたゲート。

Bの文字が逆さになっているのは、このスローガンが嘘だと分かっていながら作らされた収容者による、ささやかな抵抗だったという説があります。 一方で、当時のドイツ語の書体として、このような形が使われていたという説明もあります。

 

有刺鉄線フェンス

厳重な有刺鉄線フェンスで囲まれた収容所内へ。

 

第4棟

アウシュヴィッツキャンプ 収容所に送られた人数

ヨーロッパ全土からこの地に送られてきた理由は、アウシュヴィッツがヨーロッパの中心で鉄道網の関係で輸送しやすかったため。

  • アウシュヴィッツに移送された人数:約130万人
  • そのうち約110万人がユダヤ人
  • その他、ポーランド人、ロマ、ソ連軍捕虜など約20万人

 

犠牲者の灰

殺害された方々の遺灰が入った慰霊モニュメント

アウシュヴィッツで収容された130万のうち、殺された人の数は110万人。

 

移送されてきた普通の人

ハンガリーから輸送されてきたユダヤ人の写真 ナチスドイツが国家を挙げて取り組んだ民族浄化の最大の被害者がユダヤ人でした。

アウシュヴィッツに送られた国別の収容者はハンガリーからが一番多く 430,000人 ポーランド 300,000人、フランス 69,000人と続きます。

 

毒ガス室模型

ガス室の模型 多数の人を一度に殺害するため、ガス室には大勢の人々が詰め込まれました。 その際は、シャワーを浴びるという嘘で手を挙げたまま入室を強要。

 

使用された毒ガス缶

毒ガスとして使用されたツィクロンBの空き缶 広い地下室に大勢の人間が押し込まれた後この缶が天井窓から投下され、20~30分で絶命したそうです。

ガス缶展示室の隣、5号室には女性の髪の毛で作られた絨毯の展示(撮影禁止)があります。 髪の毛だけで2トンもの量が押収されました。

 

第5棟

義足類

何百もの義足… 貨車で移送された者で労働に適さないと判断された障害者はガス室に直行となりました。

 

食器類

移住先での生活の為に持参した鍋やポットの調理具は使われることなく全て押収。

 

鞄

大切な物を詰め込んだろうカバン… こちらも到着時に押収。

 

靴

おびただしい量の靴

アウシュヴィッツ・ビルケナウ財団によって保存されているこれらの在庫は

  • 80,000足以上の靴
  • 3,800個のスーツケース
  • 40kg以上のメガネ
  • 460本の義足と義手
  • 約2トンの髪の毛
  • 12,000個の調理具
  • 570着の囚人服
  • 260本のタッリート(ユダヤ人の礼拝用ショール)
  • 40m3の金属製品を溶かして作った塊
  • 6,000点の美術品(内2,000点は収容者たちが収監中に製作したもの)

開放前にドイツ軍が証拠隠滅を図っているため、収容者から押収された荷物のほんの一部に過ぎません。 数字はhttp://auschwitz.org/より

 

子供服

子供の服… 言葉がありません。 アウシュヴィッツに送られた18歳未満の若者・子供の数は232,000人。

何人の子供が殺されたかはっきり分かっていませんが 1944年10月10日の1日だけで 800人の子供たちがガス処刑されたという記録があります。

 

第7棟

藁を敷かれただけの部屋

収容所ができた最初の数か月は床に敷かれた藁や藁布団の上に折り重なるように寝ていたそうです。

 

罪なき収容者

収容される前は普通の生活を送っていた人々。 特にこれといった罪を犯したわけではありません。

 

トイレ

収容所内のトイレ 元ポーランド兵の宿舎を利用しているのでビルケナウ収容所より遥かにましですがプライベートはありません。

 

屋外の様子

キャンプ内

敷地内の様子 こんな天気の良い日に来てしまってすみません という気持ちになってしまいます。

冬はさぞ寒かっただろうに…

第11棟中庭

第10棟と第11棟の中庭にある死の壁と呼ばれる、収容者が銃殺された場所。 第11棟で裁判を受け、死刑判決が下されると直ちにここに連行され処刑されました。

 

集団絞首所

同時に12人を処刑できる大型の絞首台は見せしめのために1943年7月に建てられたもの。

 

点呼番小屋

点呼番小屋 収容者は毎日朝と夕方、広場に集められ、点呼を取られます。 悪天候時・冬の極寒時も例外ではなく、点呼時に衰弱と判断されたものはそのままガス室に送られることもありました。

 

看守塔

ガイド時間の都合上、見学しなかった棟もありましたが、十分過ぎるぐらいのボリュームでした。

第6棟と第11棟は訪れていません…

 

有刺鉄線

電流が流されていた有刺鉄線。

 

有刺鉄線フェンスに囲まれたキャンプ

逃亡を試みた収容者は928人に上りました。 多くは逃げようとした際に射殺され、捕らえられた者・手助けした者は処刑されました。

第二の収容所ビルケナウに比べここの収容施設が立派なのはドイツ国防軍が接収したポーランド軍兵営の建物を流用した為。 2階建ての兵舎はもともと700人収容で考えられていましたが、実際の収容者は1,200人に上っています。(全体の収容人数は平均で13,000~16,000人、多い時で20,000人)

マンザナー日系人強制収容所の敷地面積の10分の1に満たない敷地に倍の人間が収容されていました。

 

ガス室

ガス室へ

最後は数多くの人が処刑されたガス室へ。 ビルケナウ収容所のガス室はドイツ軍が証拠隠滅のために爆破してしまい、見学できるガス室のひとつ。(但し、オリジナルではなく復元されたもの)

 

ガス室

ガス室は全部で7ヶ所 この第一収容所に1ヶ所、 第二強制収容所に4ヶ所、 ビルケナウの建設現場近くにあった農家を改造したガス施設が2ヶ所となります。(白い家、赤い家)

 

ガス室内 ガス室内

ガス室内 言葉がありません…

ドイツ軍は効率よく処刑できる方法を研究し、ガス室での大量処刑に至りました。 短時間で数百人を処刑できたといいます。

 

焼却炉

1日で340人の死体を焼くことができたとされる焼却炉。

ワシントンのホロコースト博物館の見学時より遥かに堪えました。

 

ビルケナウ収容所

 

ビルケナウ収容所へ

11:30 第一収容所を後にして約3km離れたアウシュヴィッツ第二収容所のビルケナウ見学開始。 1941年10月から建設が始まった収容所で約9万人を収容した最大の収容所にして

ユダヤ人根絶に特化した絶滅施設

 

ランプ(降車場)

ランぺ(降車場) ランぺ(降車場)

ヨーロッパ全土から貨車で移送されてきたユダヤ人が降り立ったランプ(降車場) 強制収容所内まで延びるこの鉄道引込み線は1944年5月に完成しました。

窓のない貨車にすし詰め状態に乗せられ、ここで初めて外の景色を目にすることになりました。 どんな気持ちでこの景色を見たのか想像すらつきません。

水も与えられず、ここに到着するまでに亡くなる人も少なくなかったそうです。

 

キャンプ内から見た進入門

進入門を見る。 復路を利用することのない終着地。

1945年1月の解放時、アウシュヴィッツには約7,000人の収容者が残されていました。 内300人以上が子供でした。

貨車

利用された貨車 残された記録写真はほとんどがモノクロ写真ですが当時は今以上に空も緑も美しかったハズ…

 

バラック跡

広大な敷地にレンガの煙突だけが墓標のように立ち並びます。

この広い空をどんな気持ちで見上げていたのでしょう?

 

追悼公園とガス室跡

犠牲者追悼碑

進入門から約800m先にある犠牲者追悼碑公園。

 

犠牲者追悼碑

“ ヨーロッパ各地から 主にユダヤ人を中心に男女、子供を問わず150万人がナチスによって殺害されたこの地を 絶望的嘆きの場所 そして人類に対する警告の地としよう Auschwitz-Birkenau1940-1945 ”

記念プレートは、収容されていた強制移住者が使っていた23の言葉で、23枚のプレートが設置されています。 ※記念碑には「150万人」と刻まれていますが、現在のアウシュヴィッツ博物館による推計では、約130万人が移送され、約110万人が犠牲になったとされています。

 

ガス室跡 ガス室跡

記念碑の近くには証拠隠滅の為に破壊されたガス室、焼却炉の残骸を見ることができます。

 

焼却炉跡

1943年、SS収容建築部が作成した資料にはアウシュヴィッツ、ビルケナウの一日の焼却能力は5つの焼却炉を合わせ4756死体とありました。

 

灰が捨てられた場所

遺灰を捨てていた場所の1つ。 まだ遺灰が残っているそうで、鎮魂の碑が建てられています。

殺害された遺体を処理する係は、選ばれた収容者からなるゾンダーコマンダと呼ばれる特命労働隊が行いました。 同じユダヤ人としてどんな想いだったのか…

 

収容所 バラック見学

居住棟

ガイド付きでは最後の見学場所となるバラックで収容者が収監された様子を体感することができます。

当時300棟あったバラックでほぼ完璧な形で残っているのは、約60棟となります。

 

居住棟内

バラック内 アウシュヴィッツの収容所とは違い急ごしらえで建てられた建物で床は水平を失い、造りはお粗末。

ベッドと呼ぶには程遠い3段の寝棚があり、1段を5~7人で使用しました。

 

明かり取り

粗末な天井 照明はなく明り取りがあるだけ。

暖房設備はありましたが、室内の大きさと気密性の悪さから十分な暖を取ることができませんでした。

冬の極寒時はマイナス10度を下回る気温 木板の寝床に数人で毛布一枚… 冬に訪れたら少しは辛さが理解できるかもしれませんが、それは平和の時代のほんの一瞬に過ぎません。

 

子供が書いた絵

B1a地区 16号棟には子供が書いた絵が残されていました。

アウシュヴィッツへ移送されてきた14歳未満の子供はすぐにガス室に送られていましたが1943年中期以降、ここに収容されるようになりました。

当時の子供たちはどんな気持ちでこの絵を描いたのでしょう?

アンネの日記を書いたアンネ・フランクもビルケナウに収監されました。(アンネは姉と共にベルゲン・ベルセン強制収容所に移送され、発疹チフスで死亡)

 

洗面所

洗面台 仕様された期間はマンザナー日系人収容所とあまり変わりませんが、同じ収容所でも天と地ほどの差がありました。

 

食堂棟  子供、母親を殺した医務室

厨房棟と収容所内で生まれた新生児とその母親をフェノール注射で殺害したとされるバラック。

 

有刺鉄線フェンス

電流が流されていた有刺鉄線と看守小屋。

フェンスの向こうに広がる景色をどんな思いで眺めていたのでしょう?

アウシュヴィッツ収容所の第4棟にはジョージ・サンタヤーナの言葉がありました。

Those who cannot remember the past are condemned to repeat it.

過去を覚えられない者は、 過去を繰り返す運命にある。

 

重いですね… 振り返ってブログにまとめても上手く表現できないのでここで終わりにします。

 

 

次はもっと上手に旅します

 

超まとめ

  • 言葉がありません…

 

 

ここが変わったよ 2026年考察

 

2019年に訪れた時も混雑していましたが、2026年はさらに事前予約が重要になりました。

世界中から見学者が訪れるため、特に夏休みや大型連休は数週間前でも希望時間が埋まることがあります。

1.  2019年から変わったこと

2026年現在は、個人見学でも事前のオンライン予約が基本。 入場パスはオンラインで取得する方式になっています。

私たちが訪れた2019年当時もクラフク到着時に予約状況を確認したところ、滞在中の予約可能枠は早い時間、遅い時間以外はゼロでした。

もし、個人で行く場合は早めの予約が必須です。

またガイドなしのセルフツアーの場合であっても

  • セルフツアーも事前予約が必要
  • 入場パスはオンライン予約のみ
  • 当日窓口で入場券を購入不可
  • 入場できる時間帯は限定
    例えば4~9月なら、
    7:30~17:00頃:ガイド付き見学のみで入場可能
    17:00以降:セルフツアー入場が可能(滞在時間は限られます)

という運用になっています。

 

2. 自由旅行なら自分で行く?ツアー?

自分で行くメリット

  • 当然ツアーより安い
  • 自分のペースで移動できる
  • クラクフ滞在日数に合わせやすい

デメリット

  • 公式サイトで予約が必要
  • 人気日は予約が取りにくい
  • バス・列車の時間を自分で調べる必要がある

ツアー参加のメリット

  • 入場予約込み
  • バス移動付き
  • ガイド付き
  • 迷わない

デメリット

  • 時間の自由度が低い
  • 数千円高くなる

となります。

個人で行く場合はまず第一に「予約の確保 」がとにかく重要。

チケット予約が難しい場合はツアー参加でも差額は数十PLNで収まります。(集合場所指定ツアー)

 

お鈴
お鈴
個人手配で数十PLN節約するより、予約・移動・ガイドがすべて含まれたツアーを選ぶ方が安心かも