キエフから寝台列車で無事に到着したワルシャワ 到着後駅に荷物を預けて早速に出かけたワルシャワ旧市街地観光の様子デス ヨーロッパは観光情報が溢れているので下手な解説はホドホドに 短い時間内での観光だったので各ポイントタッチ&ゴーなので内容はあまりありません
(2019.07.15現在)
ワルシャワ市内観光へ
駅でバックパックを預けた後近くのパスタ屋で昼食49PLN(約1,470円)を食べ、地下鉄駅Rondo ONZ駅へ
途中ラトビア科学アカデミーのような文化科学宮殿が異質の雰囲気でそびえ建ちます
周りに近代的な高層ビルが建つ中、バリバリのスターリン様式のビル 42階立てのビルで高さは237m スターリン政権によってポーランドへの贈り物として1955年に完成したビル
239mのサンシャイン60が完成したのは1978年 サンシャイン60よりも20年以上前に完成していたことに驚き
![寅吉](http://yikes.press/wp-content/uploads/2020/04/avator01.jpg)
ワルシャワメトロ
地下鉄駅Rondo ONZ駅に到着 料金はゾーンと時間で別れますがワルシャワ市内観光だけならゾーンを跨がないのでゾーン1で 後は 20分、75分、90分・・・ と時間を選択すればOK 選択時間内ならメトロ・バス・トラムで利用できます
券売機が写真の2種類ありますがどちらでも買えます(右が紙幣も使えるタイプ)
ミンスク・キエフと違い駅構内、車両とも近代的 構内のデザインは駅ごとに雰囲気が変わります
路線図 色が複雑ですが南北か東西の2路線だけです 見どころは中心に固まっているので広範囲には利用しないハズ トラムとバスを併用して利用すれば効率的デース
信用乗車制なので改札はユルユルですがキセルが発覚した時は言い訳無用で罰金なので注意
ポーランドにおけるユダヤ人博物館
最初に訪れたのがココ ポーランドにおけるユダヤ人博物館 ポーランドといえばアウシュビッツが有名なのでホロコースト的な博物館かと思いましたが1000年に及ぶポーランドのユダヤ人コミュニティの歴史を伝えるのがメインテーマ
入場にあたっては歴史背景の予習がないと理解が追い付かなそうなので中をちょっと覗いてお終い 料金はコア展示、臨時展示ごとに設定(詳しくは公式サイト にて) 混雑する場合があるので事前予約が吉らしい
博物館前にあるゲットー蜂起英雄達の記念碑 ワルシャワゲットーの一部であった地域で、蜂起の最初の武力衝突が起こった場所に1948年に建てられた巨大な記念碑 裏面はユダヤ人の迫害を表したモニュメント
同じく一角にある記念プレート ゲトー蜂起の記念碑より古く1946年に設置されたもので一番初期の記念碑
碑文はポーランド語、イディッシュ語、ヘブライ語で書かれ 「ユダヤ人の尊厳と自由のために、自由なポーランドのために、そして人類の解放のために、前例のない英雄的な闘争で倒れた人々のために捧ぐ ポーランドのユダヤ人」 と書かれてあるそうです
どちら様? ユダヤ人大虐殺の証人 ヤン・カルスキの像 勉強不足でよく存じませんでした… ヤン・カルスキの名前を聞いて 誰? と思った人はGoogle先生 から解説して貰いましょう
テクテクあるいて旧市街地へ クラシンスキー庭園の一角にあるクラシンスキー宮殿 17世紀にバロック様式で建てられた宮殿ですが第二次世界大戦中にひどく損傷 その後再建されましたが一般公開には至らず… 血税で修復したのなら還元しないと
その向かいに建つ知的な建物は最高裁判所 その建物沿いに進んだ先に・・・
ワルシャワ蜂起記念碑
ワルシャワ蜂起記念碑 記念碑は2つのパートに分れ積極的に戦闘に参加する躍動感あふれる反乱軍の姿を表現したブロンズ像と少し悲しげな兵士の像があります
うなだれて半分埋まっている兵士はマンホールに入る様子を表現 反乱軍はドイツ軍の支配網をかいぐぐるため下水道を使い移動したそうです
楽しい雰囲気とは言えない負の観光スポットですが訪れて自分なりの想いを巡らせましょう
旧市街地エリア
キュリー夫人記念館
旧市街にエリアに突入 雰囲気が明るくなってザ・ヨーロピアンな雰囲気♪ 旧市街と言ってもドイツ軍に街の90%が破壊しつくされてしまったので戦後全て一からつくり直して当時を再現したエリア
キュリー夫人記念館 月曜日が定休ということで お休みでした 残念!!
更に進みます 路地が広いのかエリアが広いのかタリンの賑わいの印象が強くて少し人が少ない感じがしました
バルバカン バルバカン要塞は1548年に建てられました馬蹄型の要塞 第二次世界大戦で破壊され現在のモノは1952年から1954年にかけて再建されたもの
要塞で機能したのは1655~1660年の北方戦争でスウェーデンの侵略を受けた時のみだそうです
城壁の先端が馬蹄形の形で飛び出している要塞は珍しく ヨーロッパでは同じような形の要塞は3つしかないそうです
内側にはアクセサリーや絵画を販売する露店商がいましたがシャバ代は市に支払うのでしょうか?
忠実に再現された城壁 レンガは他の地方の破壊されたゴシック建築のレンガを集めて作られたそうで違和感なく再現されていてお見事でした
旧市街にあるアンティーク店 場所が場所だけにどれもみな素敵に見えてしまいます 買わないケド
旧市街を馬車で巡る 白人が馬車に乗る姿はとても絵になります アジア人用に人力車か籠屋はいないかね?
それにしてもこの通りにはやたらアイスクリームさんがあったような・・・
旧市街地広場
道が開けて旧市街地広場に到着 絵に書いたようなヨーロッパの広場ではあ~りませんか
第二次世界大戦でドイツ軍によって焦土化したワルシャワ かつての姿を取り戻そうと昔の写真・スケッチ・絵画を参考にして建物のヒビに至るまでに忠実に街を再現したそうです
旧市街とはいえ戦後に作り直したレプリカ 本来なら遺産登録基準を満たしませんがかつての街の姿を取り戻そうとしたポーランド国民の熱意を汲んで1980年に世界遺産登録となりました よがっだね~
このお方も現世に復活したのですね… 建築費用は誰が出したの? 土地の権利や建物の所有権は?(特に城壁内) 家賃は高いの?安いの? 固定資産税は築年基準?
公園に置かれた人魚像 ワルシャワには人魚伝説があり、ヴィスワ川で窮地に陥った人魚を漁師が助けたところ、人魚は助けられたお礼に全ての漁師とワルシャワ市民を守ると誓った という恩返し的なお話があるそうです
またヴィスワ川にはWarsz(ヴァルシュ)とSawa(サヴァ)という2匹の人魚が居たことから Warszawaという名前が付けられたという話もあるそうですが人魚だけに尾ひれがついているかもしれません
![寅吉](http://yikes.press/wp-content/uploads/2020/04/avator01.jpg)
イエズス会教会
広場から旧王宮方面へ 教会が仲良く並んでいます 先ずは手前のイエズス会教会から ピンクの外観が可愛らしい教会 教会の歴史は17世紀にさかのぼりますますが18世紀末から第一次世界大戦までの期間は殆ど教会の機能を果たしておらず第二次世界大戦で瓦礫と化してしまいました
現在の教会は1950~1978年にかけて再建されたもの お隣の聖ヨハネ大聖堂のネームバリューが強すぎて観光先としてはあまり人気のないちょっとかわいそうな教会
キエフの正教会で沢山見てきたイコノスタシスがなくなって普通の教会だ~ イエズス会が普通かどうか分かりませんが・・・
カトリックにプロテスタントに正教会とイロイロありますが大元はマリアとキリストでは?(乱暴発言)
洗礼者ヨハネ大聖堂
洗礼者ヨハネ大聖堂 14世紀に建てられたワルシャワで最も古い教会でポーランド王国の時代から国王の戴冠式や重要な宗教行事が執り行われてきたとても由緒ある教会 通りが狭いので全景をうまく写すのが至難のワザ
やっぱり第二次世界大戦で破壊され現在の建物は1948~1956年にかけて再建されたもの ステンドグラスはポーランドの歴史が描かれており1987年に加わりました
ワルシャワの重鎮教会だけあってGoogleレビューも2500件越え、お隣さんは20件にも満たないぞ
教会内はとても広く、天井もバリ高でした ゴシック様式のリブ・ヴォールト天井もビューティフル
放牧的なキリストにハッとして! Goodきました キリストが迷える子羊を導いています 私たちの迷える人生も導いて欲しいものデス
旧王宮
旧ワルシャワ王宮 歴史は14世紀にさかのぼる王宮ですがやっぱりドイツ軍に破壊されてしまったので現在の建物は1988年に復元されてたもの 内観見学は翌日に訪れるので外観だけ見てお終い
ワルシャワの街をことごとく破壊したドイツ軍 アメリカ軍は歴史ある京都を爆撃しませんでしたがヒトラーは蜂起のお返しに徹底的な破壊を命じました (京都は爆撃されずとも原爆は落とされてしまいましたが…)
旧王宮前広場 沢山の人達が思い思いの時間を過ごしていてして平和そのもの 平和が一番だよ~
広場の中央にはジクムント3世ヴァサ王の記念塔 塔の高さは22m 像の高さは2.75m(1944年にやっぱりドイツ軍によって壊されており、現在の柱は1949年に完成)
ジグムント3世の立像 ジグムント3世ヴァサ王は1596年にポーランドの首都をクラクフからワルシャワに移し1611年からワルシャワ宮殿に居住
その後、新世界通りや聖十字架教会を整備した王様
クラクフ郊外通り沿い
クラクフ郊外通り(歩いて来た王宮前広場方向) この辺の建物も全てかつての建物を再建したトコロ?
どちら様? アダム・ミツキエヴィッチ像 ポーランドを代表する国民的ロマン派詩人だそうです 全く存じ上げません。。。
その先にある教会は聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会(元カルメル会の教会) 1661年から1681年に建てられた教会で第二次世界大戦で大きな被害を受けずに生き延びた数少ない教会の1つ
イエズス会にカルメル会と日本のお寺みたいに複雑… よく利用したのは千趣会ぐらい
大統領官邸 馬にまたがる人物は松平健ではなくユゼフ・ポニアトフスキ王子という18世紀のプリンスだそう
ヴィジトキ教会
ウィジトキ教会 18世紀に建てられた後期バロック様式の教会 聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会と同じく第二次世界大戦の戦火・破壊を免れたレアな教会
近くの坐像はステファン枢機卿ヴィシンスキーさん グニェズノ・ワルシャワ首都大司教を33年務めた人ですが世界が違い過ぎて分かりません 善光寺・大勧進の新貫主を長年務めたみたいな?
教会内 誰もおらず静寂な空気に包まれた良き空間でした この教会はかのショパンが日曜日のミサでオルガンを弾いた教会なのでショパンの聖地巡りをする方にはMust Goの教会
ショパンは流石に知ってます オネーさんが接待してくれるお店で入れると喜ばれるお酒デース
教会のパイプオルガン どーん!! ショパンが弾いたのかな? ショパンはこの教会近くにあったワルシャワ・リツェウムという音楽学校に通っていたそうです
![寅吉](http://yikes.press/wp-content/uploads/2020/04/avator01.jpg)
大変そうですね~ 肩と腰の痛みに悩むそんなアナタにはアンメルツ ヨコヨコを推薦したい! (ワルシャワ大学博物館の建物デス)
ワルシャワ大学(正門?) ポーランドにおける東大ですね この門を通る度に頭が良くなりそう・・・ ショパンもこの大学の学生でした
聖十字架教会
ワルシャワ大学門の斜向かいにある聖十字架教会 1679~1696年にかけて建設されましたがしてやっぱり第二次世界大戦で大破 ナチスめ~
現在の教会は再建されたものになりますがショパンの心臓が祀られていることで有名
ショパンは1849年、39歳の若さでパリで亡くなりました 故郷に帰りたかったショパンですが列強の支配下での帰国は叶わず、ならば死後は心臓だけでも祖国に埋葬して欲しいというのが生前からの願いだったそうです
遺体はパリで埋葬されましたが心臓は遺言通り、死を看取った姉がドレスの下に隠し持って国境を越えこの教会に安置されました ドイツ軍が教会を爆破した際に心臓は持ち出されてしまいましたが1945年10月17日(ショパンの命日)に再建された教会の元の柱に戻されたそうです よがっだね~
教会の外観を撮り忘れたようです 困ったときのGoogle先生で!! この教会の少し南から新世界通りと通りの名前が変わります
教会前に置かれていたショパンのベンチ
ショパン生誕200年となる2010年 ショパンゆかりの場所にショパンのベンチが設置されました 再生ボタンがあり、ボタンを押すと一度は聞いたであろうショパンの曲が流れ出します♪
ベンチは全部で15設置され場所によっては流れる曲も違うそうです 全部のベンチを制覇してもおもちゃの缶詰は貰えません
![寅吉](http://yikes.press/wp-content/uploads/2020/04/avator01.jpg)
![お鈴](http://yikes.press/wp-content/uploads/2020/04/avator02.jpg)
宿泊先に向かう途中見かけたビルに描かれた壁画 戦争はダメだぞ~
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次はもっと上手に旅します
超まとめ
- ワルシャワの市内交通は時間制チケットでメトロ・バス・トラムに乗れます キセルはNG
- ポーランドにおけるユダヤ人博物館 木曜はコア展示会と臨時展示会の入場が無料
- ワルシャワ旧市街地は戦後にほぼ全てが再建された街ながら世界遺産!!
- キュリー夫人記念館は月曜日が定休日
- 聖母の被昇天と聖ヨゼフ教会とウィジトキ教会は大戦で大きな被害を受けなかったレア教会
- ウィジトキ教会と聖十字架教会はショパンゆかりの教会
- 肩と腰の痛みにはアンメルツ ヨコヨコ!!
- ピアノの森
は一色まこと作の青年漫画 主人公一ノ瀬海がショパンコンクールに挑戦するゾ
関連リンク集
- Poland Travel ポーランド政府観光局公式サイト
- Warsaw Tour ワルシャワ市観光局公式サイト
- ポーランド国鉄 ポーランド国鉄公式サイト
- ワルシャワ市電 ワルシャワ市電の公式サイト
- 文化科学宮殿 展望台オンラインチケット購入可デス
- ポーランドにおけるユダヤ人博物館 時間による入館制 予約がベター
- キュリー夫人記念館 日本でもおなじみキュリー夫人の記念館a