プノンペン到着翌日はポル・ポト政権によって引き起こされた大量虐殺の跡地の1つ キリングフィールドと強制収容所の拷問の歴史を伝えるトゥールスレン虐殺博物館へ アンコールワットとは真逆のカンボジアを代表する負の遺産見学のオハナシです
(2019.09.28現在)
プノンペン2大負の遺産見学
移動ルートと料金
今回訪れたルートがこちら
最初にプノンペンの南に位置するキリングフィールドを訪れ、その後トゥールスレン虐殺博物館へ移動するというコース
移動はホテルで紹介してもらったトゥクトゥクにて2ヵ所を巡る貸切で20USDにて回りました
移動手段は他にタクシー(配車サービス含む)、路線バスとありますがバスは旅行者にはハードルが高い上に効率が悪く タクシーはトゥクトックより割高になるという理由からトゥクトゥクチャーターでの見学がおススメ(道路状況も問題ナシ)
チャーターする際はアンコール・ワット同様、多少割高でも宿泊先で紹介してもらった方がトラブルが少なくなるので数ドルをケチるよりは宿に紹介してもらった方が良いかと思います
キリングフィールド
場所
多くの市民が虐殺されたキリングフィールド(Killing Fields)は地名でも記念公園名でもなく、ポル・ポト率いるクメール・ルージュにより大量の虐殺が行われた処刑場跡の俗称となります
キリングフィールドはカンボジア全土に渡り数多く存在しますが今回訪れたのはその中でも最も規模が大きく、観光地として広く認知されているプノンペンの南約17kmの位置する処刑場でチェンエク虐殺センターが正式名称となりますが以後単にキリングフィールドとします
カンボジアの大虐殺について
ポル・ポト率いるクメール・ルージュによって国民の1/4が殺害されたとういカンボジア大虐殺は近代史の授業で習うところなので至極簡単に5W1H形式で説明
- When 1975年4月から1979年1月にかけて
- Where カンボジア全土で(国内で300もの処刑場があったとされます)
- Who ポル・ポト政権率いるクメール・ルージュ政党 (農村兵や少年兵が殺害する側に・・・)
- What 150~200万の自国民(主に都市部の非農業従事者及び家族)を組織的に迫害、虐殺
- Why 過激な毛沢東思想に基づき国を農村社会主義にする為、農民以外の知識人を排除しようとして
- How 都市に住む人を強制労働させ虐待、栄養失調、病気で死に至らしめる他 処刑所に於いて虐殺
料金と営業時間
09:30 ホテルを出発して35分ホドでプノンペンのキリングフィールドに到着
プノンペン市内のS21(トゥールスレン収容所)に収容された人たちの処刑場として1975年~1979年に渡り多くの市民の処刑が執り行われた場所で1988年よりここで亡くなった犠牲者を追悼すると共に戒めと教訓となるようセンターがオープンしました
チケット販売 外国人の入場料は1人3USD、オーディオガイドは別途で3USD(日本語あり)ですが何も言わない限り6USDでのセット販売となっています
オーディオガイドなしでも見学は可能ですが設置されたパネルの英語説明を読み進めるだけでは情報が不十分になってしまい理解度がまるで違ってくるので標準のオーディオガイド付で見学しましょう
営業時間: 07:30~17:30(基本休みなし)
見学の様子
入場してまず最初に目に入る仏舎利慰霊塔 入場した第一印象は殺戮が行われた処刑場のイメージとは程遠く、綺麗に整備された公園のようです
画像はhttps://triptins.com/visiting-choeung-ek-killing-fields/ より
見学順としては慰霊塔の手前を右に進み場内をぐるっと一周し最後に慰霊塔内を見学 という順路でそれぞれの番号の箇所でオーディオガイドを聞きながら各自で見学していきます
順路を歩くだけなら10分程度の距離ですが説明を聞きながらじっくり見学するには市内からのトゥクトゥク往復時間も含め最低でも3時間位は確保したいところ
場内の様子 かつて処刑場内にあった建物は解放後、人々が取り壊し資材に使用してしまった為、現存する建物はなく代わりに当時の様子が描かれた説明パネルが設置されています
説明パネルの短い解説では全く情報不足なのでオーディオガイドは必須
カンボジアでは普通に見られるサトウヤシの木 処刑には貴重な弾丸の浪費を避けるために銃器が使用されることはなく撲殺やツルハシといった農具が用いられましたが時には固くギザギザがあるヤシの木の葉を用いて喉を掻き切ることもあったそうです
場内数ある墓地の1つ ここだけで450人分の遺骨が見つかっています
ベトナム軍による解放後 24ヘクタールの土地にこういった墓地が129ヶ所確認されており、これまでに9,000人近くの遺体が発見されました
この処刑所だけで実に17,000人もの罪のない人々が何の過失もなしに虐殺されました
窪地となっている場所は死体を掘り起こした跡 1日に300人ものが人が処刑され、広い敷地内に穴を掘っては埋め捨てられていきました 遺体が埋められていた場所は発見当時、腐敗した人体から生じた大量のガスで地面が膨らむほどだったそうです
見学コースの一部 多くの人の命が奪われた場所とは思えない場所ですが大雨の後には未だに遺骨や犠牲者の服などの遺留品が出てくるそうです
遊歩道左手に広がる湖(?) 処刑場はもともとは果樹園でしたが虐殺行為が秘密裏に行える場所としてこの地が選ばれました
この風景は40年前とさほど変わっていないハズ 多くの人命が同じ国民の手によって処刑されるという狂気
ナチスのホロコーストは主にアーリア人によるユダヤ人の粛清でしたがカンボジアでは同じ民族同士 生死を分けるのは農民か市民という違い…
この共同墓地からは首がない166人の遺体が埋められていたそうです
同じ民族による処刑 ためらって命令に従わなければ農民兵もまた見せしめの為殺害されたと考えられています 殺さなければ自分が、そして家族が殺される… 手を下した人間を果たして責めることができるでしょうか?
敷地内で発見された犠牲者の服が集められた展示 現在でも大雨で地表が洗い流された際に見つかるそうです
女性や赤ちゃんの遺体が100体以上見つかった墓地
入浴する時ですら服を着たままの人もいるほど恥じらいを持つカンボジアの女性ですがここから見つかった遺体の多くは裸の状態で見つかっており、強姦された後に処刑されたと考えられています
子供が殺されるのを目の当たりにされた上に凌辱を受けて殺害される 合唱せずにはいられません
キリングツリーと呼ばれる木では多くの赤ん坊が頭を打ち付けられて殺害されました
この木が発見された際には血痕や髪の毛の他、生々しくこびりつく乳児の脳みそも残っていたそうです
ポル・ポトが赤ん坊・子供まで殺害したのは、生き残った子供が親の復讐に走らないようにする為で “雑草を引き抜くなら根こそぎ全てを引き抜け” というスローガンを掲げ、老若男女問わない容赦ない粛清を課しました
敷地内から見つかった遺骨の展示 アウシュヴィッツでは犠牲者の遺留品に圧倒されましたがここではシンプルな遺骨の展示 よりストレートでインパクトのある展示となっています
マジックツリーとばれる木にはクメール・ルージュの兵士がスピーカーを吊るして大音量で革命歌を流し、被害者の叫び声をかき消して近隣の村人に聞こえないようにしていたことから名付けられました
出土の様子が分かる遺骨展示 理由もなく処刑され、無造作に埋められた犠牲者 古代遺跡から見つかる人骨とは違い僅か40年前の生きていた人たちの遺骨 国が違えばまだ生きている身内の1人だったかもしれません
フランス留学経験があるポル・ポト どこで狂気に走ってしまったのでしょうか?
見学路の最終ポイントはヒンドゥー教と仏教の要素を融合して作られた仏舎利慰霊塔
屋根の装飾にはヒンドゥー神話のガルーダとナーガの像が設置されており、敵対関係にある2つのものを取り入れることで平和を表現しているそうです
数千にも及ぶ頭蓋骨が安置されてる慰霊塔には階段部で靴を脱いでから塔内に入ります
慰霊塔の中に保管されている数えきれない程の頭蓋骨 蒸し暑いアジアにあってどこか空気が冷たく感じられます
あるものはハンマーで砕かれ、あるものは鋭利なもので貫かれ・・・ 遺体がどんな方法で処刑されたのか、性別、年代別に並べられています
何層にも別けられたガラス塔の中に天井まで高く積み重ねられた頭蓋骨に圧倒され言葉がありません
頭蓋骨の他にも大腿骨、上腕骨など比較的な大きな骨も安置されています
納めらている大量の遺骨に圧倒されると同時に、ドイツのホロコーストを経験した後でさえこのような虐殺が世界で起こってしまったことに恐怖を感じました
なぜ人間は殺し合ってしまうのでしょう?
なぜ人や社会は時に途方もない狂気に走ってしまうのでしょう?
最後の最後は敷地内にある資料館を見学して終了 処刑に用いられた粗末な農機具(?)や足枷などの展示品などがあります
トゥールスレン博物館
場所
キリングフィールドが処刑場だったのに対しトゥールスレンは処刑所に送る前段階の拘留・尋問所として機能しプノンペン市内のやや南(王宮から南西に2.2Km)のところに位置しています
プノンペンのバイクタクシー、トゥクトゥク、タクシーは交渉次第で値段で変わってしまいますがバイクタクシー利用で2USD~、タクシーでも5USD位が相場では?(2.5km前後で)
トゥールスレンとは?
プノンペンの中心からの南方に位置するチャムカモン区にあったかつての高校を転用した収容所 1976年より運用されたが稼働中は存在そのものが秘密だった為、正式名はなく(クメールルージュで使われたS21という暗号名の記録があるだけ)解放後にトゥールスレン(Tuol Sleng)という地名から名付けられました
- When 1976年3月から1979年1月にかけて
- Where プノンペン市中心のやや南Tuol Slengにあった無人と化した学校(収容所)にて
- Who クメール・ルージュ政党 所長はドッチことカン・ケ・イウ 看守の殆どが少年兵
- What 政治犯(表向き)の収容・尋問(拷問)を行い、処刑場へ送った 1.5~2万人が収容
- Why 国を指導する指導部以外の知識人は不要と考え、知識人を断絶する為
- How 過失や理由が無いにも関わらず自白をするまで拷問を続ける
料金と営業時間
12:20 トゥールスレン虐待博物館に到着 1979年1月7日にベトナム軍がプノンペンを制圧した翌日、ベトナム人の従軍記者が異臭に気づき、施設の発見に至りました 博物館として一般公開されたのは解放から10年目に当たる1989年1月7日
チケット販売 外国人の入場料は1人5USD、オーディオガイドは別途で3USD(日本語あり)ですが何も言わない限り8USDでのセット販売となっています
キリングフィールド同様こちらもオーディオガイドは必須です
営業時間: 07:30~17:30(基本休みなし)
施設マップ エントランスは写真のA棟左下部分 数字が振られていますがメインとなるのは各棟内の展示 必要時間少なくとも1時間~1時間半ぐらいは必要かと思います
見学の様子
チケットを購入し、敷地内に入って最初の場所 A棟角
A棟の前にはA棟に残されていた犠牲者14人(男性13人、女性1人)の白いお墓が並んでいます ベトナム軍が近くまで来たことを知ったクメールルージュが逃げる直前に殺害したとされ、施設全体では50人の遺体が見つかったそうです
敷地の境界には学校に似付くかわしくない有刺鉄線が張り巡らされたままの状態で保存されています
A棟は主に尋問や拷問を行う場所として使用された建物 「知識は格差をもたらす」という理由から同国民であるにも関わらず教師、医師、技術者といった知識人とされる人が達が危険分子と見なされ収容所に送り込まれました
知識人とされる定義はエスカレートし
- メガネをかけている=勉強をしているから目が悪くなった
- 手が柔らかい=農業に従事せず勉強をしている
- 文字が読める
- 海外に行ったことがる
という理由だけで収監されるようになっていきました
A棟1Fの尋問室 尋問に使われたベッドや足枷が残されている他、床には血痕のあとも残る生々しい部屋で壁には解放時に放置されていた遺体の写真が掛けられています
オーディオガイドを聞かずとも部屋自体が恐ろしい空気で語りかけてくる そんな雰囲気の部屋で長居することができません
A棟とB棟角地にある拷問に使用された吊り具 収監者を後ろ手に縛り吊す拷問具 吊るされた人は肩が脱臼し激しい痛みで気を失うそうですがそこでは終わらず糞尿が詰まった壺に頭を漬け、意識を取り戻させては再び拷問を繰り返します…
自白するまでありとあらゆる拷問が続けられる為、苦しみから逃れたい一心で身に覚えのない自白や密告を行ってしまいます
そして最後に行きつく場所がキリングフィールド…
B棟はパネル展示が中心 クメールルージュがプノンペンに到着した際の様子や強制労働の様子などの展示があります
こちらは犠牲者の写真と思いきや看守や拷問を行った少年兵達のもの(犠牲者の方の写真には囚人番号が入り、また別のコーナーに沢山展示されています)
都市部にいる大人=知識人=処刑の対象 国民の1/4を粛清しまう勢いで処刑してしまった為、農村部の子供たちを洗脳しクメールルージュの一員として起用し看守として働かせました
殺す側にならなければ殺される という理由の他に知識もなく純粋だった分洗脳しやすかったのかも知れません
有刺鉄線が張り巡らされたD棟は収容房として利用されていた建物
驚くことにこの有刺鉄線は逃亡防止用ではなく飛び降り自殺防止用として設置されたもの 逃げ出す以前に死を選びたくなるほどの拷問が繰り広げらたことが裏付けられます
その拷問を行う看守は二十歳にも満たない少年兵 全てが狂っています
急ごしらえで作られた粗末な独房 1階はレンガ造り、2階は木製、3階は雑居房となっており壁には看守が行き来できるよう穴が空けられていました
1畳の程のスペースの独房ですが拷問部屋に比べたらこの独房はまだマシな空間だったのかもしれません・・・
一番奥のD棟 D棟にはS21に収容されて生き残った人が描いた拷問時の絵や拷問器具、そして遺骨の一部が展示されています
実際に使用された拷問器具 1975年代の代物とは思えないシンプルな物ばかりですが凄まじい苦痛と恐怖を与えたことはヒシヒシと伝わってきます
拷問で問われる質問は難しいものではありません「政府転覆を企む者か?」「CIAの手先か?」「反乱分子は誰か?」 全く身に覚えがなくても自白するまで自殺したくなるほどの拷問が続きます
拷問から逃れるために自白した先に待つのはキリングフィールドでの処刑
結局殺してしまうのなら何故このような拷問をしたのか?
何故少年兵は親の歳と同じような人達に対し、そのような拷問ができたのか?
純粋な少年兵には送り込まれた収監者は危険分子=悪であると教育したのでしょう (最後は皆、自白してしまうのでクロになります 上の人が言うコトは正しく、自分は正義を行っているのだと錯覚します)
処刑者には人間を殺す正当な理由を与えたのでしょう (罪人として送られてくるので処刑という職務がこなし易くなります)
恐怖心から従わざるを得なかったかもしれません…
D棟の外にある記念塔
1日でキリングフィールドとトゥールスレン博物館のハシゴ見学にどっと疲れてしまいました(精神的に)
なぜ人間は殺し合ってしまうのでしょう?
なぜ人や社会は時に途方もない狂気に走ってしまうのでしょう?
結局何も分かりません
飢えも戦争も知らない平和の中でしか生きてこなかった身には分かるハズがありませんし、想像すら不可能です
何も分からずとも、考えることはできました
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次はもっと上手に旅します
超まとめ
- キリングフィールド、トゥールスレン博物館共にオーディオガイドは必須
- トゥクトゥクによるキリングフィールド、トゥールスレン見学チャーターは20USDが目安
- キリングフィールドは市内から時間が約40分、遅くとも15時に到着するように出かけましょう
- 1日で2ヶ所を見学するのは内容的にはヘビーとなるが効率的
- 冷戦時代、ベトナム戦争、クメールルージュの対等など歴史背景は事前に予習の上
- 両施設とも慰霊の場所でもある為露出の多い服装での訪問は控えましょう
- 何を感じ、何を想うかは実際に訪れてみて判断して下さい
関連リンク集
- Tourism of Cambodia カンボジア政府観光局公式サイト
- プノンペン市 プノンペン市の公式サイト 観光情報は少な目
- スケッチ カンボジアの最新情報が分かり易い現地日系旅行代理店サイト
- トゥール・スレン虐殺博物館 多くの市民が収容・殺害されたトゥール・スレン博物館のサイト
- Giant Ibis 外国人旅行者が多く利用 カンボジアの長距離バスGiant Ibisの公式サイト
- VCITY LODGE HOTEL プノンペン市内にあるCity Lodge Hotelの公式サイト