行く先々が世界遺産登録地のメキシコ オアハカからすぐ近くのモンテ・アルバン遺跡も併せての登録地ということなのでオアハカ最終日に遺跡見学にでかけてみました
小高い山の上、オアハカ盆地を見渡せる位置に築かれたサポテカ文明を代表する遺跡見学の様子のオハナシです
(遺跡見学は2019.03.11現在)

 

モンテ・アルバン遺跡

 

行き方

Hotel Rivera del Ángel モンテ・アルバン行きシャトル

私たちは旧市街地からシャトルバスサービスを利用してアクセス 11月20日市場から西へ3ブロック進んだ先にあるHotel Rivera de Angelから出ているLescas Co. Tourのシャトルバスサービスで向かいました 往復で1人60ペソ(約350円)  時間は行きが8:30~15:30まで1時間おき、帰りが12:00~17:00までの1時間おきでした

他にもこのホテルにある通りのAutobuses Turísticosという会社からも同じ料金・スケジュールでシャトルサービスがあるのでどちらを利用してもOK

タクシーで行く場合は片道150ペソ前後位? で行けるかと思います

 

料金

モンテ・アルバン遺跡

入場料は1人75ペソ(約420円) カメラ持ち込み45ペソとなってましたがノーチェックでした
営業時間は8:00~16:30ですが、昼から午後はかなり暑くなるので早めに行くのが吉デス

 

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遺跡見学の様子

 

中央アメリカ最古と言われるモンテ・アルバンが建設され始めたのは紀元前450~500年、高原地帯の盆地にある小高い山の上を平坦にして築かれました 季節になると白い花が咲き乱れたことからスペイン語の「白い丘」を意味するモンテ・アルバンと呼ばれていますがサポテカ族は「聖なる山」という意味のダニポアン/ダニパアアンと呼んでいたそうです

500~700年頃に黄金期を迎え、周辺に暮らしていた人は25000人までに増加 しかしその後800年以降はミトラなど新たな都市を築き段階的に放棄されていったとされています

そして衰退した後にやってきたミステコ人がモンテ・アルバンを埋葬の場として利用 遺跡からは現在までに170を超えるお墓が見つかっており、発掘されたお墓の中からは多数の美術品や、財宝が見つかっています

 

モンテ・アルバン遺跡図

遺跡は、南北に長方形の形をしており南北300m、東西200mという広さ 北側と南側に大基壇が築かれて両脇(東西)に、建築物が並んでいます

私たちは入場後、球戯場から時計回りに回ってみました

 

球戯場

球戯場

マヤ文明の遺跡に見られるような球戯場 作られたのは紀元前200年頃と見なされメソ・アメリカの球戯場の中でも最も古いものされています

マヤ遺跡に見られる球戯場と同じH形をした球戯上ですがここにはボールを通す石の輪がありません こちらの方が古いことから球戯ルールが進化していったのかもしれません

球戯場のサイズは41×24m ちょっとした小学校のプールサイズです

 

宮殿

宮殿 宮殿

宮殿 モンテ・アルバン遺跡の黄金期に建造されたとされ、位の高い人の住居だったと考えられています

階段部分でロープが張られ、宮殿内を見ることはできませんが隣のピラミッド遺跡の上から覗き込むように宮殿内の様子を見ることが出来ます

 

天文台

天文台

この建物だけが他の建物と異なり他の建造物に対して45度斜めの角度に建てられています 春分・秋分の日に宮殿から見るとちょうどこの天文台に陽が沈むように建てられていることから天文台として利用されていたと考えられています

 

天文台の光侵入口

別アングルから見るとまた別の建物に見えます 鏃の形をして先端(写真の左)が南西を指しています

 

岩に掘られた絵柄 岩に掘られた絵柄    

天文台の建物の周りには人の姿を描いた石版が埋め込まれており、モンテ・アルバンによって征服された他国の王が服従する姿だとされており征服石版と言われています

人類の歴史はどこでも戦争の歴史ですね…

 

南の大基殿

南の大基壇 南の大基壇の階段

モンテ・アルバン遺跡の文字通り一番南に位置する遺跡最大のピラミッド(高さ15m以上、底辺100m以上)で最盛期後期の紀元後500~800年頃に造られたもの
遺跡に登る階段は写真よりずっと急です チョルーラ遺跡の階段も急でしたが角度的な法則もあるのでしょうか?

 

南の大基壇から北の大基壇を望む

階段を登るとモンテ・アルバン遺跡の全体が見渡せます(少し奥の方へ行くとオアハカの街や空港も望むこともできます)

遺跡はご覧の通り日影が殆どありません 日中はかなり暑いので日傘があるとGoodです(無かったので。。。)

 

南の大基壇の上の遺跡

階段の上には30m×30m 高さ6m程の小さなピラミッドがあります
モンテ・アルバンの後期に造られ、ティオティワカン柄の彫刻も見られることからティオティワカンの影響を受けていると考えられています

 

 

踊る人々のピラミッド

踊る人々のピラミッド

モンテ・アルバン遺跡の最大の見どころの一つ 踊る人々のピラミッド モンテ・アルバン最古の建造物のひとつで300枚もの「踊る人」と呼ばれる石碑レリーフがあった場所

 

描かれている人物 人物像が描かれた岩板

現在は遺跡前の広場に石碑(レプリカ)が並べられていますが元々はこの建造物の壁面に埋め込まれていたもの

コミカルに踊っているように見えたことから「踊る人」と呼ばれていますがほとんどが裸人で目を閉じたり苦しそうな表情をしており、なかには陰部から血を流している図柄があることから捕虜の拷問死体を描いた見せしめ的なものとされています

サポテカ人は戦闘民族サイヤ人のようなイケイケ部族だったみたいです

 

内部への入り口 オリジナル石版

遺跡には小さな入り口があり、中に入ると壁にはめ込まれた状態の「踊る人々」の石碑があります

寅吉
寅吉
人類の歴史は戦争の歴史 戦争がなくならないのはDNAに刻まれているからなのでしょうか?

 

コンプレックスⅣ

 コンプレックスⅣ

コンプレックスⅣと呼ばれる建造物 あまり紹介されていませんが何となくガンダムのホワイトベースに似てたので…

比較的綺麗な状態の遺跡でタルー=タブレロ様式が見られることからテオティワカンの影響を受けた後期の建造物と推測できます

 

太陽計

隣に建つ石塔 戦さと天文観測に秀でていたサポテカ民族はこの石塔を太陽の動きを観察する目的で建てたと考えられており影の動きで時間、季節の移り変わりを観測したとされています

 

北の大基殿

北の大基壇 北の大基壇前の石碑

球戯場からぐるっと回ってきて北の大基殿に到達 南の大基殿より古くこの階段はサポテカ様式 メキシコ古代文明最古の階段とされています

階段の下には複雑な図柄が掘られた巨大な石碑が立っています

 

北の大基壇

北の大基壇の上部には一段低くなった広場があります 中央には祭壇が設けられていることから宗教的な儀式が執り行われていたとされています 窪んでいる理由は位の高い人しか儀式や祭典に参加することができず、他の人から見られないような作りにしたためとか・・・

 

北の大基壇から南の大基壇を望む

北の大基殿の上にある一番高いであろうピラミッドから眺めるモンテ・アルバンの遺跡群 オアハカ盆地の中央に位置する様子がよく分かります

 

北の大基壇の上の遺跡   

北の大基殿の上にあるピラミッド 似たようなピラミッドがまだありましたが暑いこともありこの辺で遺跡見学はお腹いっぱいになってしまいました・・・

天気がいいと日陰のない炎天下にずっと晒されてしまうので2時間が限度です…

 

博物館

博物館

最後は遺跡に隣接したモンテ・アルバン博物館へ (料金は入場料に含まれます)
暑さから解放されるので砂漠の中のオアシスのような存在で中にはカフェコーナーもあります♪

 

踊る人のオリジナル

踊る人石碑オリジナル 博物館内で踊る人々のピラミッドにはめ込まれていた石碑のオリジナルを見ることができます 「踊る人」と言えば聞こえはいいですが「拷問を受けた人」ではネーミング的に引きますね

 

石碑12号と13号

暦が刻まれている石碑12号13号 メソ・アメリカ文明最古の暦とされています どう読むのでしょうか???

モンテ・アルバン遺跡が最古の遺跡とされているのでメソ・アメリカに共通する365日暦と260日暦という2つの暦の体系を発明したのもマヤ族ではなくサポテカ族だったと考えられています

 

発掘された人骨 建造物の復元模型

発掘された人骨 建造物の復元模型なども展示され興味深い内容となっていますが財宝類の発掘品はオアハカのサントドミンゴ歴史美術館にて展示されています

 

ジャガーの面を被った像

ジャガー被り物を被った像 踊る人々を生み出したサイヤ人戦士でしょうか 強そうでした!!

 

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次はもっと上手に旅します

 

超まとめ

  • モンテ・アルバン遺跡に行くならまずHotel Rivera de Angelを目指そう
  • シャトルバスサービスは複数ありますが内容は一緒です
  • ミトラ遺跡同様日陰がなく日中はかなり暑いので注意 日傘や水の用意を
  • 踊る人は踊っているようで踊ってない イカの踊り焼き様を描いたようなモノ
  • 遺跡はある程度基礎知識を勉強してから出かけるとモアベター