初めての海外旅行は1988年。 あれから30年以上も経ちすっかり年も取り、気が付けばいつの間にか昭和・平成・令和と三年号に渡って旅をしてきたことになります。 思い返せば時代と共に海外旅行もずっとスマートになったとしみじみに思います。 今回はそんな30年で何か変わったか考えてみたいと思います。

寅吉
寅吉
18歳の時に友人を訪ねて豪州に1ヶ月ほど遊びに行ったのがあっしの初海外旅行♪

移動と宿泊

 

飛行機

30年前はまだ大型機が滑空してた時代。 今は各座席備え付けのパーソナル画面で好きな時に好きなコンテンツが見られますがその昔は映画はプロジェクターで鑑賞していました。機内でもフツーにタバコが吸え、酷いときは煙で機内が霞んでいました。 今では大手旅行会社となったH.I.S.も格安航空券を扱う小さな旅行会社の1つにすぎませんでした。

航空チケットは赤い複写用紙が特徴の綴り式で大切に持ち歩いていた記憶があります。 そして当時は成田空港は1つしかありませんでした…(1992年に第二ターミナルが開業)

また帰国の際にはリコンファームという謎の儀式をしなければなりませんでした。 リコンファームとは現地を出発する72時間前までに、現地の航空会社に連絡を入れ予約の再確認し、搭乗意思をアピールするというもので空港にある航空会社のカウンター、航空会社の営業所や発券オフィスなどを訪れるか、電話で行います。 チケットを握りしめてドキドキしながら電話しました(笑)

お鈴
お鈴
教官、私はドジで間抜けでノロマな亀です。 だけど絶対スチュワーデスになります!!
松本、お前は確かにドジで間抜けでノロマな亀だ!! だからこれからお前をしごく!!
寅吉
寅吉
お鈴
お鈴
あんた 今そんなことを言ったら完全なパワハラですよ!!
松本。。。
寅吉
寅吉

タクシーとUber

昔はタクシーは悪徳業者 ボラれてしまうのでは? とドキドキしたものですが近年では空港からのタクシーは昔に比べ随分改善され悪徳タクシーが減ったと思います。(一部の地域ではまだまだですが) またアメリカを中心に今はUberがタクシーにとって変わる地域も出てきました。 お金のやり取りに気を遣わなくて済み、なんとも便利な世の中になりました。(ネット接続が必要ですが)

 

ネット予約とAirbnb

旅行業者に依頼するのは別として、インターネット時代以前の予約は電話がキホン。 英語での電話予約はハードルが高くFAXで予約を入れた事もありましたが基本めぼしい宿を下調べしておいて、現地飛び込みで宿泊しました。どこもかしこも満室で泊まれなかったという記憶はありませんが、そんな宿の確保もまたインターネットの普及でメール予約~Web予約~ホテル検索サイトでの予約と進化し、今ではフツーの民家にも泊まれてしまう(Airbnb)ようになりました。 民家に泊まる発想なんておじさんにはホームステイ位しか思い浮かびませんでした(笑)

 

持ち物について

お鈴
お鈴
一番変わったのが旅支度の品々ね  もう昔には戻れない位便利になったわ

カメラ

昔はデジカメがなかったのでカメラと言えばフィルムカメラでした。 当然カメラだけでは写真が写らないのでフィルムも持っていくことになりますが多く撮ろうとすればするほどに荷物もフィルム代も増えました(笑)  一眼レフカメラもありましたが当時は一眼レフを持って海外に行く人は少なかったように思います。 また今のデジカメのように何百枚・何千枚も撮れることはなく、残りのフィルム数を計算しながらいつ撮るのがいいか悩みながらシャッターを押したものです。

写ルンです”も流行りました!! 特に“パノラマ写ルンです”が発売された時はパノラマ撮影ができるカメラがなかったのでコレも別に用意して持って行きました!! その分、荷物も増えルンですが。。。

そしてフィルムですが空港でのX線検査による感光被害を最小限に抑える為に鉛ホイルでできた袋を用意する必要があったりと大変でした。

ハンディカムが流行ったときは多くの人がカメラとビデオカメラを持って行きましたがテープ式のビデオはすっかり消えてしまいました。 肩に担ぐ家庭用ビデオカメラの時代から考えると今のスマホはとてつもない進化ですね。

寅吉
寅吉
「写ルンです」は懐かしい限りだけど、最近また若モノの間で流行っているらしいね

 

地球の歩き方&地図

旅のバイブルと言えば「地球の歩き方」でした!!  昔は大雑把な括りでの発行でしたが今ではより多くの国や地域がカバーされ100タイトル以上が発行されています。 Lonely Planetの日本版ガイドブック的位置づけで他諸国のバックパッカーからは「日本人は皆、あの青い本を持っているね」 とよく言われたものでした。

また街中の散策には何かしらの地図が必要でガイド本の地図を切り取ったり、コピーしたりしてポケットに忍ばせたものでした。 いつもまず、どっちがどっちの方向か分かるまで少し迷うパターンでした。 今ではどちらもスマホで解決してしまいますが当時は共に必需品でした。

 

ウォークマン

往復の機内や長距離バス利用時に“ウォークマン”は必須アイテムでした。 CDは高校時代から本格普及した記憶がありますが旅のお供は“ウォークマン”でした。 長距離バスでアメリカ一周やオーストラリア半周した際にはもうテープが伸びるほど聞きました。 カセットテープも沢山持っていくと荷物になるので、120分テープにお気に入りソングを入れて持っていきましたがダビングの手間も今考えると面倒でしたが楽しかった記憶があります。

時代に応じてウォークマンからポータブルCDプレーヤー→MDプレーヤー→MP3プレーヤー→スマホと推移していきました。

Wikipedida Marc Zimmermann 投稿より

お金とカード

20歳位の頃には既にクレジットカードは持っていましたがまだまだキャッシュの時代。 旅行前には必ず銀行か空港で相当額の現地通貨を両替して行きました。 また盗まれても・紛失しても安心という「トラベラーズチェック」は高額なドルを持っていく時に用意した覚えがあります。(使い勝手は面倒でしたが…) そんなトラベラーズチェックは日本国内では2014年3月31日にアメリカン・エキスプレスによる発行が終了した後、日本から姿を消し絶滅種となりました。 合掌

 

目覚まし時計と電卓

地味な存在ですが、目覚まし時計は皆が必ず持って行ったと思います。 目覚ましとセットで為替計算で欠かせない電卓も持ち物マスト品。 今のご時世、両方とも持ち物リストに付け加える人は果たしているのでしょうか? こちらもスマホで事足りてしまう絶滅旅行品と言えそうです。

 

お土産

持ち物ではありませんが、とにかく海外に行ったらお酒と化粧品!! なんだか良く分かりませんが、とにかく洋酒を買ってきてくれ! とリクエストされ、免税店で必ず3本買ってきた記憶があります。 女性陣からはシャネルの口紅リクエストが多かったです。 それから、タバコもよく頼まれました。 今では考えられないほどの免税品店フィーバーが当時の日本人にはあったのです。

マカデミアナッツチョコは相変わらず今も昔もそしてどこにでもありますね。。。

昔の買い物は派手だったわよね~ 日本はロックフェラーセンターも買っちゃたし♪
お鈴
お鈴

 

旅の神器 スマホ現わる!!

 

そして現れたのが現代の必須アイテム ”スマホ” です。 ガラゲー時代はケータイを海外に持っていかなくてもそれほど困りませんでしたががスマホなしの海外旅行は今ではもう考えられません。 2000年前半にかけて全国的にインターネットが普及しましたが2007年に初めてのスマートフォンが発売されて僅か数年で10年単位の技術を小さなボディに集約。 便利アプリを導入すことにより手放すことができない正に”神器”となりました。

スマホに含まれるモノは通話機能はモチロンのことカメラであり、通訳士であり、旅行代理店(ホテル・飛行機予約)であり、音楽プレーヤーであり、ガイドブックであり、地図・ナビゲーションであり、計算機であり、手帳であり、アルバムであり、語り手(ソーシャルメディア発信)であり… もうキリがありません。 文明の力は一度手にしたら手放し難き、ということがよく分ります。

 

当時を振り返り

 

ちなみに大学最後の夏休みにアメリカとオーストラリア&ニュージーランドをバックパックスタイルで旅した時はこんな感じでした。。。

  • AB-ROAD(1984年創刊)で航空券情報をチェック、渋谷の代理店で手配 → ネットで解決
  • グレイハウンド周遊券を買い現地で乗れるバスに乗る → ネットで解決
  • 地球の歩き方に掲載されているユースホステルを一軒ずつ空きを聞いて回る → ネットで解決
  • カメラは35mmフィルムでフィルム保護ケースが必要 → デジカメ、スマホで解決
  • オーストラリア行のチケットはロスの日系旅行代理店で探す → ネットで解決
  • 現地移動は地球の歩き方を見ながら目的地を連呼してどうにかたどり着く → スマホの地図でスムースに
  • 帰国便の飛行機の予約再確認をドキドキしながら電話で行う → 今は不要
  • 帰国後写真現像を楽しみに待つ。 現像代はケッコウな値段 → デジタル化で殆ど現像しない

 

昔は良かった(?) 今では行けない場所

寅吉
寅吉
あっしの思ひ出の場所… 今ではもうNGになってしまった所です
  • ワールドトレードセンター (2001年9月1日 テロによって崩壊 TV生中継は忘れられません)
  • エアーズロック (2回登りましたが2019年10月26日から登山禁止に)
  • カトマンズの世界遺産 (大地震前に行きましたが地震前には戻れません)
  • タヒチ ボラボラ島のホテル・ボラボラ 2011年に改修オープンの予定のまま閉館に… (新婚旅行思い出のホテル)
  • アラスカ経由の欧州行便 (JALは1991年に北回り欧州線を廃止 2階建てジャンボで行きました)

 

30年で3回行ったヨセミテ国立公園(キャンプ)

寅吉
寅吉
30年間のヨセミテ国立公園内にあるCamp4の混雑具合はこんな感じに変化しました
  • 1991年 お昼位までに行けば普通にCamp4のキャンプサイトが確保できましたた (8月中旬)
  • 2010年 朝7時位までに並んでいればCamp4のキャンプサイトが確保できました (6月中旬)
  • 2019年 来場者の急増を受けてCamp4のfirst come first servedは終了し、抽選制に (6月上旬)

ハーフドーム登頂トレッキングは2010年はまだ普通に登れましたが現在は抽選によるパーミッション制となってしまいました。。。 当たり前ですが年月と共にいろいろなものが変わりますね。

お鈴
お鈴
この先10年、20年後の世の中は一体どうなっているのかしらね?

[php_everywhere]